博士学位論文
研究の背景および目的(第1章) コミュニケーション場面において,相互作用者の非言語行動,例えば話し方や姿勢や癖などが,互いに類似することがしばしば観察される.例えば,長岡・小森・中村(2002)は,同性の2人組による非対面状態での自由対話において,話者が用いる交替潜時(話者交替の時間間隔,すなわち,一方の話者が発話を終了してから他方の話者が発話開始するまでの時間の長さ)が対話者間で類似することを示している.このように,相互作用相手との間でコミュニケーション行動が連動し,パターンが類似化していくことを,一般に同調傾向と呼ぶ(大坊, 1999).
同調傾向の生起過程に関する検討(第2章) 従来の同調傾向のモデルの1つであるHess, Philippot, & Blairy (1999)のmimicryのモデルでは,情動的コミュニケーションにおけるmimicryが説明対象とされている.彼らは,mimicryは自動的反応であると考える.しかし発言長や交替潜時の同調傾向は,社会的な要因の影響を受けることがさまざまな先行研究によって示されている.そこで第2章ではまず,社会的な要因が交替潜時などの同調傾向に影響を及ぼすことを検証することを目的とした.また,一般的に自動的反応は瞬間的に生起するが,交替潜時などの同調傾向は比較的長期にわたる時間経過とともにその程度を増大することが,先行研究から推測された.そこで,交替潜時の同調傾向の程度の時系列的変化を検証することを第2の目的とした.【実験1】聞き入れ対話と意見固持対話の比較 従来の研究の概観から,相手に対する受容的な態度が同調傾向に関連していることが示唆された.そこで,実験�では,話者が受容的構えを持つことが,発言長(話者交替によって区切られる同一話者の発話が連続する長さ)や交替潜時や相槌頻度(ここでは相手の発話中の1分あたりの相槌の回数)の同調傾向に影響することについて検証することを第1の目的とした.そのため,話者が相手に対して受容的構えを持つ対話として,意見の異なる2者が話し合いによって妥協点を見出す条件(聞き入れ条件)を設定し,話者が相手に対して受容的構えを持たない対話として,意見の異なる2者が自らの意見を相手に主張する条件(意見固持条件)を設定した.対話時間は15分間であった.発言長,交替潜時,相槌頻度を測定し,それぞれが同一ペアの2者の間でどの程度違っているか(差の絶対値によって示した),およびどの程度2者間で一致しているか(級内相関係数によって示した)を,条件間で比較した.その結果,すべてのパラメータが,聞き入れ条件における方が意見固持条件よりも互いに一致していることが示された.また,交替潜時が最も強く同調傾向を示し,かつより明確な条件間の差を示したことから,これ以降の検討では交替潜時をパラメータとすることが適していると判断された.さらには,社会的スキルが交替潜時の同調傾向に影響を及ぼすことも示唆された.ENDE2(堀毛, 1994)によって測定された社会的スキルの下位スキルである記号化スキル得点によってペアを3分類した.結果から,両話者とも社会的スキルが高いペアほど,受容的構えを持っているときには交替潜時の同調傾向を示すのに対し,受容的構えを持たないときには相手の交替潜時とは全く異なる交替潜時を用いる傾向が示唆された. 【実験�・�】同調傾向の時系列的生起過程 実験�・�は実験�の押さえとして位置づけることができる.実験�・�では,あらかじめ台詞が決まっている模擬対話において,一方の交替潜時を操作し,他方の交替潜時が時系列的にどのように変化するかを調べた.これにより,時間経過に伴い徐々に2者の交替潜時が類似していくことを再確認することを目的とした.被験者の音声入力に反応してあらかじめ録音した音声ファイル(話者X)を再生するアプリケーションを用いて模擬対話を成立させる方法を用いた.アプリケーションによって話者Xの交替潜時を操作した.結果はクリアとはいえないものの,2つの傾向が見出された.第1に,話者の交替潜時は,時間経過とともに徐々に相手の交替潜時に同調するように変化すること,第2に,本実験のような協調的な対話においては,社会的スキルが高いことが同調傾向と関連する傾向が示された. 以上,第2章の実験結果をまとめると,交替潜時の同調傾向には,相手に対する受容的構えや社会的スキルが影響することが示された.ならびに,交替潜時の同調傾向は,時間経過とともに徐々に程度を増す過程が示された.
交替潜時の同調傾向の機能に関する検討(第3章)第3章の目的は,交替潜時の同調傾向が,対話における目標達成ならびに対人印象に及ぼす影響について検討することであった.得られた結果は,本研究で提案するモデルを,同調傾向の機能の観点から検証する上での手がかりとなると考えられた. 【実験�】対話者による対話についての評価実験 実験�の目的は,相手の交替潜時が自分の交替潜時に同調傾向を示すかどうかが,対話における目標達成ならびに対人印象に影響を及ぼすことについて検証することであった.そのため,音声遅延によって,時間経過とともに相手の交替潜時が同調傾向を示すようになる条件(遅延減少条件)と,時間経過とともに相手の交替潜時が同調傾向を示さなくなる条件(遅延増加条件)を設定した.そして,それぞれの条件下で意見の異なる初対面の2話者に妥協点を見出すための対話を行わせ,その後話者ごとに対話についての評価をさせた.協調性,妥協の達成,意見の一致についての評価値を2条件間で比較した結果,遅延減少条件の方が遅延増加条件よりも優れた評価を得ることが示された.また,同一ペアの2話者の評定値が互いにどの程度ずれているかを分析した結果,遅延減少条件の方が遅延増加条件よりも2者間で評定値が近似していることが示された.また,感じの良さや話しやすさなどの対人印象に関しても,遅延増加条件よりも遅延減少条件において,評定値の前半から後半にかけての向上の度合いが大きかったことが示された. 【実験�】聴取者による対人印象評価実験 実験�は実験�の押さえとして位置づけることができる.実験�は,発話の意味内容や交替潜時以外の韻律などを統制し交替潜時のみを操作した音声刺激を用いた,聴取者による対人印象評定実験であった.目的は,交替潜時の同調傾向が対人印象に及ぼす影響を検証することであった.テレフォンショッピング場面の対話音声における,オペレータおよび客の交替潜時を操作した.そして,聴取者にオペレータの接客態度の印象(「感じのよい」「親しみやすい」など)について7段階で評価させた.評定値を刺激間で比較したところ,オペレータの印象として特に重要視される項目である「親しみやすい」や「感じのよい」項目において,客の交替潜時とオペレータの交替潜時の交互作用が有意であった.すなわち,客の交替潜時が長い場合には,長い交替潜時を用いるオペレータの方が短い交替潜時を用いるオペレータよりもポジティブに評価された.また同様に,客の交替潜時が短い場合には,短い交替潜時を用いるオペレータの方が長い交替潜時を用いるオペレータよりもポジティブに評価された. 以上第3章の実験結果から,交替潜時の同調傾向は,話し合いによる目標達成を促進すること,ならびに,「親しみやすい」「感じが良い」などの形容詞であらわされるような個人的な親しみやすさをもたらす機能があることが示された.
総合論議(第4章) 上記の2つの検討を通して得られた知見を基に,交替潜時の同調傾向を説明するモデルを提案した.このモデルにおいては,話者は相手の発話様式を参照し,自分の発話様式に取り入れ,自らの交替潜時を産出する.取り入れの段階で相手に対する構えが影響し,産出の段階で社会的スキルが影響すると考えられる.常に変化しうる相手の発話様式を取り入れるという困難な処理のために,交替潜時が同調傾向を示すには時間経過を必要とすると推測される. |